「オンライン脳」川島隆太

 

 

先日、読んだ著者の「スマホが学力を破壊する」

 

kareiko.hatenadiary.com

 

何となくわかってはいたものの

データを突き付けられたら、やっぱり衝撃的だったし

そのうえ、勉強時間さえ確保しても

スマホの使用をすれば

それが無に帰すことが分かって愕然とした。

 

で、もっと詳しく知りたいと思い

次に手に取った本がこれだった。

 

「オンライン脳」

 

 

論じているのは

スマホが学力を破壊する」から

さらに発展させたもの、、というほどではなかったが

スマホの問題が、常時接続できること

そう、あまりに当たり前すぎて忘れそうになる

オンラインによるコミュニケーションの問題であることを

あらためて指摘している。

 

「オンライン脳」というタイトルを見た時

以前、世界中で話題になった

アンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」を思い出したが

本著では、スマホではなく、オンラインの弊害を

具体的に指摘しており、スマホに限定されたものではない。

 

子どもにゲーム、スマホタブレットを持たせる前に

いや、すでに、持たせているなら、なおさら、読んでおきたい本だ。

 

 

「道行きや」伊藤比呂美

 

 

毎日のくらしの中で

普段はやり過ごせていても

ふと、自分の人生これでいいのか?と思う時がある。

 

落ち込んだり

やる気をなくしたり

あの時こうすればよかった

これから先どうすれば

考えても、どうしようもないことに

頭の中がとらわれたら

ワタシは、伊藤比呂美に会いに行く。

 

本を開いて、彼女の日常にどっぷりとつかり

彼女が放つ言葉の一つ一つを

シャワーのように浴びる。

それは、元気をくれるというより

大丈夫、大丈夫、と

ゆっくり背中をさすってくれるかのよう。

 

「ほら、一緒に死ぬまで生きてこうよ。。」と

語りかけてくれる。

 

この本もそんな1冊。

最後に、誰もいない家の中で

表紙の言葉を思いっきり叫んでみる。

「ちくしょう、あたしはまだ生きてるんだ。」

 

そしたら、また、歩きだせる。

 

 

 

 

 

「スマホが学力を破壊する」川島隆太

 

 

気づいたら、スマホを手にしている。

別にスマホに用はないというのに。

手にした途端、時間はあっという間に

スマホの中に吸い取られる。

 

しかし、スマホは、人間から時間を奪うだけではなく

もっと深刻な影響を

発達途中の子ども達に及ぼしているらしい。

 

子ども時代は2度と戻らない。

子どもたちが、子ども時代を、スマホの画面の中で過ごすことについて

大人は、もっと、真剣に考えなくてはいけない。

 

 

 

「「自由」の危機 息苦しさの正体」

 

 

菅政権による日本学術会議の任命拒否問題に端を欲し

この国を憂えた識者たちが

この国の自由の危機と閉塞感について、論じている。

 

数年前に出版された本だが

今読んでも、まったく過去の本とはなっていない。

 

それは、この国の自由が

さらに、危機にさらされており

目に見えない息苦しさがどんどんひどくなっているからだ。

 

さまざまな問題が、いつしか、耳触りのよい言葉で置き換えられる

この国で、私たちが、本当に知るべきことは何なのか。

それぞれの識者が、様々な視点から語る。

 

特に印象深かったのは、小説家「桐野夏生」。

これからも絶望を描き続けるという彼女の言葉が

忘れられない。

 

 

 

「自民党の統一教会汚染追跡3000日」鈴木エイト

 

 

 

読み進めるごとに、これほどげんなりする本は初めてでした。

最後には、もうおなか一杯になります。

 

もちろん、本にげんなりするのではありません。

げんなりするのは

政治家、自民党政治、日本の戦後政治にです。

 

自民党政治

腐敗とか愚かとか、、

そんな言葉でさえもったいないくらい

とにかく、この本に出てくる

政治家の醜さに読んでるこちらが

恥ずかしくなるような本です。

 

よく考えて、投票しなきゃね。

 

 

 

「インドラネット」桐野夏生

 

著者の作品は、女性を主人公とする物語が多いが

本著は、男性を主人公とした作品である。

 

主人公は、風采の上がらない若者、八目晃(やつめあきら)。

仕事も人間関係もうまくいかず、人生を半分あきらめかけた彼のもとに

ある日、高校時代の親友であった野々宮空知(そらち)の父の訃報が舞い込むところから物語は始まる。

 

高校卒業後、音信不通となった空知を心配していた晃。

空知の父の葬儀に行けば、空知に会えるかもしれないと思っていたが

そこで晃を待っていたのは、野々宮空知の姉と妹を探しに

カンボジアに行ってほしいという不可解な依頼であった。

 

あてのないままカンボジアに向かった晃だったが

そこで、さまざまな人に出会い

さまざまな情報をつかんでいくかのように一見見える。

しかし、物事は容易に解決せず

網(ネット)のように複雑に絡み合う。

 

人との出会いが

偶然なのか、仕組まれたものなのか

 

得た情報は

実なのか、虚なのか

 

インターネットやSNSの便利なツールが

人類が生き延びるために必要な

危機を察知する動物的勘や肌感覚を鈍くさせているのではと

否応なく考えさせられた。

 

この物語を読みながら

読者は、何度も何度も

この世のあり方に絶望するにちがいない。

 

桐野作品の最後は、時に、置いてけぼりにされたような感覚に陥る。

この作品も、そうであった。

そうして、思う。

私たちは、今のこんな人間社会に、深く絶望しなければならないのだ。

 

「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」町田その子

 

 

 

初めて読んだ町田その子の本は

「うつくしが丘の不幸の家」だった。

 

 

短編小説的でありながら

読み終わって、びっくりした。

物語の連続性と関係性とに度肝を抜かれた。

こんな小説、初めて読んだ、、と

自分の中で衝撃が走った。

 

その後、話題となった著者の本を読んだ。

「星を掬う」「52ヘルツのクジラたち」

 

 

どちらも、町田その子の筆力に圧倒され

物語る力の大きさを感じたんだけど

「うつくしが丘の不幸の家」の衝撃はなかった。

 

そして、先日、この本を手に取ったわけだ。

「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」

 

恵まれない環境に置かれている人々が

不器用でも、要領が悪くても、それでも生きていく姿と

そして、そんな誰もが、どこかで誰かと

折り重なるようにつながっている。

 

ああ、、ここから始まってたのだ、、

町田その子のすごさって、、。