「離れて暮らす親に介護が必要になったときに読む本」角川SSC

 

 

前回、介護の超入門本を読んでみた。

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kareiko.hatenadiary.com

 

 

 

介護のことは、なんとなくわかったけれど

いざ、具体的に動くとなれば、この本の知識だけでは

まだまだ足りない。

超入門のあとは、いざ、入門、、ということで

次なる本を探していて、この本を手に取った。

 

角川SSCムック

「離れて暮らす親に介護が必要になったときに読む本」

 

表紙に「図解とイラストでよくわかる」と書かれているとおり

表や数値、フローチャートなどで

目で見て、読んで、理解できるようになっている。

 

さまざまな介護の事例が掲載されていて

まだ、介護問題に直面していなくてもイメージがわいてきた。

特に、介護のケーススタディの章では

在宅介護、施設介護、それぞれの具体的ケースについて

実際の介護者、要介護者親子の声とともに

生活リズムや費用面の数字も細かく書かれており

介護への不安を抱える人へのひとつの指針になると思った。

 

本著は、A4サイズ。

ぱらぱらとめくって読むような本ではないが

その分、ゆっくり、じっくり、落ち着いて

介護の知識を深めるのに、もってこいの本であった。

 

 

「弱った親と自分を守るお金とおトクなサービス超入門」安藤なつ・太田差恵子

 

 

先日のこと。

ひとり暮らしをしている母親が

足が痛くて動けないことがあった。

(今は、だいぶ回復して、ホッ、、)

 

母ももう、70代。

まだまだ元気だと思っていたけれど

彼女も確実に年を取っているのだなと

しみじみ思って、ハッとした。

 

何をのんびりしてんだ、、ワタシ、、

介護のこと、何も知らないぞ(汗)

 

この先、いや、今日、明日

何が起こるかわからない。。

少しでも介護のことを知っておかなきゃ。。

 

介護保険は知ってても

介護サービスなど、介護の知識は全くない。

当然、介護の専門用語など知らない。

 

とにかく、何も知らなくても

用語の壁にぶつかることなく

すいすいと読める本を探していたとき

この本を見つけた。

 

安藤なつ・太田差恵子 著

「弱った親と自分を守るお金とおトクなサービス超入門」

         

 

弱った親

自分を守る

お金

サービス

入門

 

初めて介護のことを考えたワタシの頭をよぎった

キーワードの数々。

なんと、タイトルにすべてが満載されている!!

これは、もう読まない理由はないよねってことで、読んでみた。

 

タイトルに「超入門」とあるように

介護サービスについての大変わかりやすく書かれている。

 

著者2人の会話形式による解説は、大変心地よく

すらすらと読める。

 

一見難しそうに思える介護用語も

丁寧な解説で、らくらく突破。

どんどん読み進められた。

 

さて、読後。。

本を読む前と読んだ後では、自分の意識が全然違うことに気が付いた。

気持ちが明るくなって、前向きになっていたのだ。。

 

これまで、介護のことを考えてこなかったのは

どこかで、介護のことを怖いと思っていたから。

そして、その怖さの原因は、介護の知識がゼロだったからだ。。

 

この本は、介護を考え始めたワタシが最初に飛び越えたハードル。

この飛びやすいハードルを飛び越えて

次のハードルへと向かえそう。。

 

 

「飾らない。」坂井より子

 

自分らしく、、

個性的、、

 

簡単に言う言葉だが

じゃあ、それ、いったいどういうこと?と問われると

具体的に答えられる人は、案外いないのかもしれない。

 

この本のタイトルを見た時

ああ、そういうことか、、とやっとわかった気がした。

 

自分らしく、、

個性的、、というのは

「飾らない」ということなのだ。

 

40代になってから、この手の本をよく手に取るようになった。

仕事や子育て、、いわゆる現役世代を生きていると

ふとした瞬間に

今の自分の人生って、自分が望んでいたものなのかという

疑問と不安が押し寄せてくる。

 

ワタシは、自分らしく、生きているのか!?

 

社会の常識、風潮、世間の目、、

実体のないものを

知らず知らずのうちに、自分の中に作り上げ

 

自分が何者かになること

人とは違うこと

人から抜きんでていること

いいね!をもらうこと

 

誰かから何かから評価されなければいけないような

焦燥感に駆られ

 

外見や考えや表現や

趣味や仕事やくらしさえも

誰かに何かに評価されることを追い求め

自分を飾っていないか。。

 

そうして、評価された自分を

自分らしい、個性的、、などと勘違いをしていないか。。

 

実は、それは、内面化させた世間の目に支配された

最も没個性的な生き方だと気づいているか。。

 

『趣味は「暮らすこと」』という一文を見た時

 

ああ、それでいいのだと、心がふっと軽くなった。

 

「ぼくらは、まだ少し期待している」木地雅映子

 

 

 

期待と希望は違う。

 

希望は、マクロ

期待は、ミクロ。

 

つらいことがあって

理不尽なことがあって

自分の力ではどうしようもない環境に置かれ

生きていくのに困難を抱えているとき

 

希望を持つことが大事

希望を捨てないこと、、

なんて簡単に言うけれど

そんなことができる人間は、ほんの一握りではないだろうか。

 

それでは、絶望の淵に立たされた人間は

希望をもつことができなければ

生きていけないのか、、と考えたら

そういうことはない。。

それでも、私たちは生きている。

 

それは、

過酷な状況でも

希望を持てるような強い人間でなくとも

ふつうの人間は、本能的に

目の前の人に、目の前のことに

知らず知らずのうちに「期待」してしまうからではないのか。

 

人生相談や、お悩み本などで

人に期待するから、自分が苦しむ。

だから、期待しないこと。。

などというフレーズを目にしたことがある。

 

その理屈は、頭ではとってもわかるが

そんな合理的なふるまいは、凡人の私などとてもできない。

気づけば、やっぱり、誰かに、何かに期待してしまう。

 

それを逆に考えてみよう。

頭ではわかっていても、実践できないということは

それは、理性ではなく、本能なのだ。

 

「期待」することを本能だと考えれば

期待することは、人間が生きていくうえで

必要不可欠ということになる。

 

さて、本著は、子ども虐待をテーマに物語が進んでいく。

暗く重々しく、つらい気持ちになりがちなテーマだが

本著は、これまで読んだ類似テーマの他の小説とは全く違った印象を受けた。

 

それは、虐待を受けた、受けているこどもたちが

それに向き合っていく過程で

絶望から希望にまっすぐたどり着く、ステレオタイプな物語ではなく

「期待」することにより弊害を受けながらも

行きつ戻りつし、少しずつ前進していく物語だったからだ。

 

裏切られても裏切られても

人間は、どうしようもなく期待する。

実は、そこからしか、本物の希望は生まれないのかもしれない。

 

 

「老害の人」内館牧子

 

老害」という言葉を初めて聞いたとき

いやな言葉が生まれたものだなあと思ったが

気づけば、そんなこともすっかり忘れ

今では、自分の辞書の中に、この「老害」という言葉が

しっかり書き記されている。

 

自分のことばかり延々としゃべる老人

回りを顧みず自分勝手な行動をする老人

くよくよと嘆いてばかりいる老人

過去の栄光ばかり語る老人

そんな老人を前にすると

さすがに口にこそ出さないが

ついつい「あっ、老害」と思っている。

 

そんなワタシも、すでにアラフィフ。

老害」と言う側から

老害」と言われる側に着々と近づいている身。

 

時々、自分のことばかり話していてハッとしたり

夫と若いころの話で盛り上がることが増えたりして

やばっ、老人に近づいている、、

これは、老害か!?と焦ったりする。

 

いやいや、それよりも

自分はまだ若いと思っていること

まだまだやれると思っていること

そう自分に言い聞かせて、自分を奮い立たせることが

老害への道をまっしぐらに歩いているのでは、、と思ったりする。

 

老害」を笑い蔑みながら、「老害」を恐れる、アラフィフの自分。

 

内館牧子著「老害の人」を読んで

老いるとはどういうことか。

当たり前のことを当たり前に想像することを

すっかり忘れている自分に気づき、恥ずかしくなった。

 

子ども𠮟るな、来た道だもの

年寄り笑うな、行く道だもの

 

さてさて、ワタシも「老害の人」となることを恐れず

老いていこうかしら。。

 

 

「黒いマナー」酒井順子

 

2023年、初読了は

酒井順子「黒いマナー」。

 

マナーとは何なのか。

改めて考えるきっかけとなる本になることまちがいなし。

 

マナーとは

人間が社会生活を営むうえで

他人に不快な思いをさせないためのルールであり

 

マナーとは

人間が社会生活を円滑に行うために

あらかじめ身に付けておく形みたいなもの。。

 

マナーって、大事だ。

 

だけど、目的と手段というのは、時に入れ替わることがある。

本末転倒、、

手段が目的化したとき、本来の目的が果たされなくなるどころか

逆に厄介なことになる。

マナーが目的化した場合も、しかりである。

 

円滑な社会生活を営むため

よりよい人間関係を築くため

他人に迷惑をかけないため

などなどの目的のために

その手段としてあるはずのマナーだが

 

マナーを習得することが目的化してしまうと

マナーを習得した人は、習得していない人を蔑視しがちになったり

大仰にマナーを振りかざして

円滑な社会生活どころか

ギスギスした社会生活、人間関係になりがち。

 

マナーって一歩間違えば、毒にも薬にもなるよなあ、、と

思いながら手に取ったこの本。

 

さまざまなマナーについて

作者の思うところが

軽妙に書かれており

マナーを茶化したエッセイのようにも読めるが

 

そこは、酒井順子

 

マナーとは何なのか、最後は、ものの見事にきっちり着地。

そして、この本のタイトルが

なぜ「黒いマナー」なのかもわかる仕掛けとなっている。

 

そうそう、マナーって、そういうことだよね、、

新年に、大切なことを確認できて、よかったなあ。

 

「下に見る人」酒井順子

 

酒井順子ならではの

ウィットの効いた文章に

時には笑ってしまうが

内容は、とても鋭い指摘である。

 

日本人のコミュニケーションのあり方

深刻化するハラスメントやいじめ問題の本質を

加害者の側面から考察している。

深く考えさせられる。

 

あっという間に読んでしまったが

余韻は、ものすごい。